• 2011.09.11 Sunday
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ベビーカーデビュー
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

このブログも文字通り不定期更新ながら、新年を迎えることができました。ひきつづいて、研究・教育と日常との間にあるネタを書いていくスタイルでいこうと思います。日記でもなければ、研究記録でもなければ、戦略的な情報発信でもない、「中途半端なブログ」のスタイルに積極的な意義を見出しつつ、書き続けていければと思います。

さて年末年始は、4ヶ月になる長男をベビーカーに乗せて、街を歩いたり、電車に乗ったりということをはじめて始めました(12月まで海外単身赴任でしたから)。こういうときに「バリアフリー経路」を事前に調べるのは、どういうわけか私の役割になります。東京メトロの駅においてあるパンフ「バリアフリー便利帳」もさっそくもらってきました(どの駅にもこのパンフが置いてあるのには感心。オムツ替え台のあるトイレの有無まで書いてあるのはさすが)。いろいろ出歩きましたが、電車も空いていたし、事前に調べておけばほぼ問題なくOK。恥ずかしながら改めて認識したのは、エスカレーターはベビーカー禁止なんですね。というのも、ヨーロッパで、駅のエスカレーターにガンガンとベビーカーに乗せていくお母さんお父さんをたくさん見ていたので。あらためて考えると、日本より駅のエスカレーターのスピードは速いわけで、本当にエスカレーターに乗せて大丈夫なんですかねえ。

年末には、都内の商業施設もいくつか行ってみました。東京ミッドタウンに行ってみると、外の檜町公園も含めて、ベビーカー親子がたくさん目に付いて少しびっくり。ここにいる限り、少子化なんてどこの話?という気さえしました。建物内は、年末でそれなりに混んでいたのですが、エレベータを利用する人は少なく、まるでベビーカー親子+車椅子用といった感じで、気持ちよく使うことができました。エレベーターが客の主動線から微妙にはずれたところに配置されていて、ほとんどの客は真ん中にあるエスカレータを使います。デパートなどで、エレベータがとても便利な位置にあるような場合には、皆がエレベータに集中するので、ベビーカーで行くのは気が引けてしまいます。ここでは、エレベータでなくてもいい人には使わせずに、でも、エレベータを必要としている人にはそれほど遠回りをさせずに気持ちよく使ってもらう、という絶妙なバランスを(すくなくともその日は)うまく実現できているような気がしました。ベビーカー親子が多いような気がしたのも、そんな使いやすさの結果なのかもしれません。私も、これからもちょくちょく行こうと思いました。

エレベータの配置といえば、関西空港は失礼ながら最悪と言ってもよいもので、関西空港駅の改札から国際線出発階までの主動線上には、エスカレータではなくエレベータが配置されているので、電車で関西空港に到着すると、真ん中にあるエレベータ前で延々と待たねばなりません。トータルで見ればもちろん容量オーバーになっていないのですが、このターミナルビルの(高名な)設計者は、鉄道の旅客の特性(ランダムではなくいっせいに到着する)というものを、感覚的に理解していなかったのでしょう。関西空港全体としてはとても使いやすいだけに、この部分の「失敗」は惜しまれます。

駅施設などは、いままで自分ではそれなりに「分かっている」つもりの世界であったにもかかわらず、ベビーカーを使うようになって、それまで頭では分かっていてもなかなか感覚としてつかんでいなかったことが多いことに気がつきました。「体験しなければ分からない」というのは確かにその通りで、でも専門家というのは「体験しなくても想像できる」感覚と言うかセンスがなくてはいけませんね。そんなことを考えた今年のお正月でした。






黒部の太陽
16日の夜は、土木学会主催の「黒部の太陽」特別上映会に行ってきました。石原裕次郎と三船敏郎主演の40年前の映画で、黒四ダムの関電トンネル掘削を舞台にした、あの有名な映画です。

「土木屋」としては期待にたがわず迫力満点な映画で、その意味では満足して帰ってきました。
ただ、土木工事の場面以外の、映画としての人間模様を描いている部分:たとえばどんな経緯で主人公(裕次郎)が結婚したのか?父との葛藤や作業員との確執は?・・・・・・などがずいぶん省略されているようで(劇場版から2〜3割カットされていたそうです)、その部分が描かれてこその「映画」としての感動、というのも期待はしていたところだったので、もし機会があればぜひノーカットで見てみたいものです。

舞台となった北アルプスには何度も登っています。学生の頃には、黒四ダムから十字峡を経て、欅平(トロッコ列車の終点)までの、黒部峡谷沿いの水平歩道(旧日電歩道)を、紅葉シーズンに1泊で歩いたこともありました。ほとんど水平(というかゆるい下り)の道で、いまは足場もしっかりしているので、山歩きに少し慣れていれば技術的にも体力的にもあまり問題ない道ではあるのですが、がけから足を滑らしたら当然ながら命はありません。アーチダムを下から見上げたときの迫力、秋でも黒部川の本流に残っていたスノーブリッジ、高熱隧道から流れ出るお湯の露天風呂、垂直の岩壁にコ字型にくりぬいた水平歩道・・・など、今でもよく覚えています。

この高熱隧道は、「黒部の太陽」でも出てくるし、吉村昭の同名の小説にもなっています。吉村昭の本は結構読んでいて、「高熱隧道」も高校生か浪人生のときに最初に読んでから、それ以来いままで何度か読み返しています。でも一箇所だけ、不満な点があるのです。
この小説のひとつのヤマ場は、冬の黒部峡谷の志合谷のトンネル工事の宿舎が、ホウ雪崩で宿舎が丸ごと黒部川の対岸の岩壁まで吹き飛ばされてしまう、という場面なのですが、そこが問題箇所です。雪崩が流れてきた方角と、宿舎が飛ばされてしまった方角の小説での記述が、どうかんがえても東西南北が逆なのです。吉村昭ほどの人が間違うわけがない、という気もするのですが、実際に志合谷に行って旧宿舎の廃墟をみて谷を見上げてみるまでもなく、地図を見れば間違いだといわざるを得ません。私の持っている版はもう20年近く前の文庫本ですが、いまの版は修正されているのでしょうか?もし修正されていないのなら、小説とはいえ、史実に基づく作品なのですから、何とかすべきものと思います。「文学作品」となると難しいのでしょうかねえ。
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